#6 カキモノ日和について

文具に対する思い

みなさんこんにちは!かいです。

突然の書き出しですが、私は筆記具が好きです。

文房具全般に興味を持っているのですが、中でも筆記具は特に気になる存在です。

小学校の高学年か、中学生の頃から筆記具が持つ独特の佇まいに惹かれることが多くなりました。

私が初めて鉛筆以外の筆記具を手にしたのは小学校高学年の時で、それは母が所有していたシャープペンシルでした。

また、ほぼ同時期に同じく母が所有していた万年筆にも触れる機会がありました。

万年筆。パーカー45。
当時母が所有していた万年筆、パーカー45。

それまでずっと使用していた鉛筆とは全く異なった筆記具の存在に強い興味を持ったのです。

シャープペンシルについては実際にその頃から使用する事になったのですが、万年筆は当時インクを切らせており、さらに母も所有してはいるものの特に万年筆に興味があったわけではなかったようで、何度かインクの購入を母に頼んでみたのですが、ついにインクの購入をすることなく、その当時は使うことは叶いませんでした。

ですが、子供特有の好奇心の強さも手伝ってか、私はそれらの筆記具に特別な興味を持つことになりました。

鉛筆のように使用を続けるとすり減ってなくなってしまうわけではなく(もちろん厳密にはリフィルの交換、ペン先の研ぎ直しなどのメインテナンスが必要になりますが)、いつまでも使い続けることができるために愛着が湧く存在であることがその理由の一つ。

また、それらを手にして実際に使用する時、自分の頭の中にあるイメージやアイデアなどを具象化することができるという、素晴らしいツールであることを認識できたことがもう一つの理由です。

そもそも人は元来、手を動かして何かを造ることを好む性質があるのではないかと私は思います。

かつてはアナログのものしか無かったけれども、利便性の追求や新技術の開発などによって、それらのツールがデジタルツールへと姿を変えていったということでしょう。

デジタルツールの恩恵

デジタルツールが開発されてから、わずかな期間に目を見張るような進歩を遂げ、それは未だ止まることを知りません。

私のようにカキモノを愛する人間にとって、デジタルツールは自分が頭の中に持っているイメージを表すためにとても便利で有効なツールです。

例えば効率的に多くの文章を書くならば、スマートフォンをはじめタブレット端末、PCなどは私たちの要求に高レベルで応えてくれます。

いつも使っているMacBook pro late2015。

様々なアプリケーションを使用することで、訂正や文書の追加なども簡単に行えます。

ものすごい量の文字数を誇る作品であろうと、スマートフォン内やクラウドに保管していれば、ポケットに入れてどこにでも持ち運ぶことができます。

誰かに自分の作品を見てもらいたいと考えた場合も、私が今行っているようにブログなどを通して簡単に発表することができます。

そこには出版社の編集者を通して校正を受けて・・・などの手間はありません。

誰もが簡単に自己表現することができる下地を作ったのがスマートフォンをはじめとするデジタルツールです。

さらに、プロの作家やイラストレイターなどの方々は、定められた期間内に複数の作品を完成させることが要求されます。そのため、できうる限り効率的に作品を作り上げ、完成させなければなりません。

また職場と自宅を行き来して作品を作ることにもなるでしょう。そういった状況下では、比較的安易に手に入るデジタルツールの利便性は揺らぎません。

文章を書くことのみならず、イラストや漫画、アニメーションを制作する事も非常に簡単になりました。

私は油彩画を描いていた事がありますが、キャンバスや数々の道具を揃えて保管しておくためにかなりのスペースが必要になります。

ですが現在ですと、iPadやタブレットがあれば実際に筆を使って描く油彩画にかなり近い作品を作ることができます。

描き上がった作品を画像で見る分には、アプリを使って描いた作品と絵筆を使って描いた作品とを一瞬で見分ける事は難しいレベルにまでなってきているのではないでしょうか。

誤解を恐れずに表現するなら、「完成した作品に対しての満足感」のみを追求するならば、タブレット端末とアプリを使用して描いた作品で充分だと思います。

アナログであることの良さ

私が愛するアナログのカキモノは、非効率で自己満足のなせるものである事は理解しています。

それでもなお、私は昔ながらの手書きで文章や絵を描くことに喜びを感じます。

このブログのアドレスにもあるように、私自身が「時代遅れの幽霊」である事を認めているのです。

決して時間に急き立てられることなく、あくまでも自分のペースで自分の好きなカキモノをする事になんとも言えない充実感を感じるのです。

ペンや鉛筆の先が紙面を走る時の音と感触は、繰り返されればされるほどにモチベーションが上がります。

「何を書こうか」と決めていなくても、ノートを開いてペンを準備すればそれだけで嬉しくなるのです。

インクや絵具、鉛筆から立ち上る香りに心が落ち着き、ときに高揚もします。

私はあくまでも趣味でカキモノをしていますので、焦ったり慌てたりすることはしないように気をつけるようにもしています。

これについては同意してくださる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、鉛筆やペンなどのアナログツールで記したものは、何年経ったのちでもその紙面を見れば、記した当時の記憶が鮮明に思い出せます。

どのような感情でこれを記したのか。

どのような考えをもって記したのか。

どのような音楽を聴いていたのか。

様々な情報が鉛筆やペンで記された筆跡から引き出されるのです。

人間の脳が、私たちが考えている以上に複雑で繊細な出来事をも記憶する時、筆跡や絵などの2次情報を利用しているのでしょうか。

つまり、自身の手を使って記した文章などをきっかけとして古い記憶を瞬時に呼び起こすようになっているのでしょうか。

私は専門家ではありませんので、その辺のところはあくまでも自身の経験に基づく事実しか語れません。

ですが、アナログのツールには破棄する必要性を感じさせない「何か」が残されていると思います。

これは感情論ではなく経験から来る確信です。

現在生活している私たちのうちの何割かの人は、古臭くて非効率なツールに魅力を感じていると信じています。

書き手である私たちの考え

ただ、これを読んでくださっているあなたに誤解しないでいただきたいのは、私はデジタルツールを否定したり、アナログのツールと比べてどちらが上だ、と比較しているわけではないということです。

私もデジタルツールの利便性は充分すぎるほど理解していますし、アナログのツールと同じように愛をもって使い込むことで、「自分だけの一つ」を作り上げることにもなります。

そして、それらのツールは書き手である私たちにさらなるインスピレーションを与えてくれるでしょう。

私たちの手が生み出す作品はいつか人を感動させ、多くの共感を得ることになるかもしれません。

カキモノを愛する皆さんの日々が充実したものとなりますように!

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